よく「先祖霊が祟る」とか「先祖に恨まれる」などと言う話を聞きます。
怖いことと思うかもしれませんが、一概には決められないものがあります。
今日はその問題についてお話ししたいと思います。
宗教と信仰の違い
一般的に信仰と宗教の見分けがつかない方は多いと思います。
信仰とは信じることを指します。
例えば身近な人が亡くなれば姿形は消えますがその人の気配がしたり、声を聞く人もいます。
つまり肉体がなくてもその人はそこに「いる」ということを「信じている」わけです。
また心の中に「生きている」と感じる人もいるでしょう。これらは全て「信じている」わけです。
神はいるのか?
同じように「神」の存在を「信じる」人もいます。
神がいるか?いないか?と言うよりも「神を信じているか?」「神を信じていないか?」の違いだと思います。
神がいると信じる人は神の導きを感じることとなり幸せへのヒントをもらえるかもしれません。
逆に神がいないと思う人は成功は実力、失敗は不運と思うかもしれませんね。
でも信じるも信じないも「信仰」には変わりありません。
信じない人は「無信仰」と言う「信仰がない」状態にすぎません。
(別の事実を信じているという意味)
宗教との違い
では宗教とはなんでしょう?これは教えであり教義であります。
何に基づくかといえば教祖だったり経典です。
経験と照らし合わせて「この教祖は間違っている」「この経典はおかしい」と思えば信じることはしないでしょうし、「合っている」と思えば信じることになるでしょう。
神を信じる人たち
ちなみに世界で最も神を信じている人がたくさんいる国は「アメリカ」です。
裁判の前も聖書の上に手を置いて「宣誓」を行います。神に誓いを立てて真実を述べると言っているわけです。
逆に最も神の存在を信じていない人が多い国が「日本」です。
しかし面白いことにその最も神を信じない国民が多い日本人が新年には最も多く初詣に出かけると言われています。
信仰の自由
信仰も宗教も信じる信じないはその人それぞれの自由になっています。「信仰の自由」ですね。つまり二択の問題です。
先祖がいない人は「いない」
では先祖との違いは何かと言えば先祖は誰にでもいます。先祖のいない人はいません。
それは親から子へと続いてきた生命の絆です。
もしも養護施設などで育って親御さんの顔を知らなくてもそのDNAには絶対に遺伝子が組み込まれているわけです。
親を嫌う人の運命
親に感謝をすることを拒否したり嫌う人がいます。
これはいろいろな背景があるでしょうが、その中にある無意識の考えは「自己否定」です。
片親を嫌うということは自分自身の50%を否定しているのと同じです。
逆に両親を敬い大切だと思える人は自分自身の遺伝子を受け入れ敬うことを意味します。
自分を敬うこと
自分を敬う人と自分を否定する人でどちらが幸せになれると思いますか?
言うまでもありません。自分を敬う人です。これはナルシストとは異なります。
自分自身を敬う人が本物なら必ず他人も敬うことができるものなのです。
先祖を信じるということは自分自身を敬い、幸せになるために必要な考えの一つです。