占いを学ぶなか、ただ過去や未来、相性などを知るだけでよいものかと思いました。
さまざまな開運法を知っていくなかで、風水も学びました。
開運の帝王といわれるだけあって、風水は奥の深いものです。
風水を実践していくなかで、さまざまな風水師の方の著作にもふれていくと、ほとんどの風水師の方が神社参拝をおすすめしていることがわかりました。
聖なる存在を感じる場所
そこで私も最初は故郷の産土神社、住んでいる土地の氏神さまにも参拝しはじめた頃でした。
風水師の方たちがおすすめしてはいましたが、人の建てた建物に聖なる存在がおられるとは信じてはいませんでした。地磁気が高く、心身が癒される土地に神社が建てられていることもあり、気持ち的には真剣さがなかったように思います。
危機が迫る時
そんなある日、地域の山にある神社にいってみようと思い立ち、里宮に参拝したのち、山の頂上にある奥宮にいくために登山をはじめました。登山するには午後3時過ぎで遅かったこともありますが、頂上についた頃にはまわりは少し薄暗くなっていました。奥宮をさがしましたがみつかりません。ただ、小学生くらいの少年の写真が、お墓のようなものにとりつけられた、プラスチックのなかに組み込まれていました。この山で不慮の事故でもあったのかと思いました。後に、台風によって奥宮が吹き飛ばされていたことがわかりました。
あきらめて下山していくなかで、ついに登山道もみえないほど暗闇に包まれました。
その山は中級者レベルの山でした。整備された登山道ではなく、獣道みたいな道で、ときには壁もよじ登っていく場所もありました。
その後、一瞬の気のゆるみで山から転げ落ちました。そのさいスニーカーの片方が脱げ、どこにいったかわからなくなりました。山の獣たちの鳴き声が聞こえてきます。
祈りが届いた?
私はとにかく真剣に神さまに対して、無事、下山できるようにと祈りました。すると、不思議なことに、道の両側に、麓のほうまでいくつもの淡い光が灯ったのです。9月ですので蛍ではありません。まさに奇跡がおきたのだと思いました。私はその光をたよりに無事、下山をすることができました。
感謝の心を忘れずに
そして里宮に無事、下山できたことをお礼しようと神社をみると、古い服装をした夫婦のような二人が、金色に光って私をみているようでした。私は近づきがたい畏れを感じて、遠くからお礼をし、我が家に帰ってきたのでした。